どーも!ともやんです。
河野太郎さんが話題なので、くわしく調べてまとめてみました。
- 河野太郎の父は政治家?
- 祖父は?
- 経歴や任期が知りたい!
そのあたり紹介していきます!
是非最後までご覧ください。
もくじ
河野太郎のプロフィールを紹介!
まずは、河野太郎さんのプロフィールについておさらいしましょう!

- 生年月日 1963年1月10日
- 出生地 神奈川県平塚市
- 前職 富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)社員
日本端子社員 - 現職 衆議院議員
- 所属政党 自由民主党(麻生派)
- 配偶者 河野香
- 親族 父・河野洋平(元衆議院議長)
祖父・河野一郎(元副総理)
大叔父・河野謙三(元参議院議長)
弟・河野二郎(日本端子代表取締役社長)
河野太郎さんのプロフィールに有名な親族の記載もあります。
父親や祖父も政治家だったことがわかりますね!
後ほどくわしく紹介していきます!
河野太郎の経歴をおさらい!
次に経歴について紹介します!
■衆議院議員
- 第41回衆議院議員総選挙に神奈川15区から自民党公認で立候補し、当選。
- 2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で再選
- 2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で三選
- 2002年(平成14年)12月には、川口順子外務大臣に対し「国民に対して説明責任を果たしていない」と非難して衆議院外務委員会理事を辞任。
- 第1次小泉内閣で総務大臣政務官、第3次小泉改造内閣で法務副大臣を歴任。
- 2006年、自民党政調副会長(法務担当)に就任。
- 2008年(平成20年)9月、衆議院外務委員長に就任。
- 2009年(平成21年)9月、自由民主党総裁選挙へ出馬したが、谷垣禎一に敗れた。
- 2010年(平成22年)4月5日、自民党は離党した前幹事長代理園田博之の後任に河野を充てることを臨時役員会で決定し、翌4月6日に正式就任した。
- 9月22日、自由民主党シャドウ・キャビネットで影の行政改革・公務員制度改革担当大臣に就任し、党内で規制改革や事業レビュー、事業仕分けなどを担当した。
■国家公安委員長兼行政改革担当大臣
- 2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣において、国家公安委員会委員長、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、内閣府特命担当大臣として初入閣。
- 2016年8月3日、内閣改造に伴い退任。同年の第29回日本メガネベストドレッサー賞・政治部門を受賞。
■外務大臣
- 2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣において、外務大臣に抜擢された。
- 同年8月に訪米し、米国で批准に至っていない包括的核実験禁止条約(CTBT)について、その早期批准を求めた。
- 2017年11月1日、第4次安倍内閣で外相に再任。
- 2018年10月2日、第4次安倍改造内閣で外相を留任。
- 2019年4月26日、外務大臣就任後の延べ100か国目の外遊先としてサウジアラビアを訪問。
■防衛大臣
- 2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣において防衛大臣に就任。
- 2020年6月15日、イージスアショアの配備プロセス停止を発表し、さらに24日開催の国家安全保障会議にて正式な配備断念を決定したことを翌25日に発表した。
■行政改革担当大臣
- 2020年9月16日、菅義偉内閣で行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、内閣府特命担当大臣に就任。
- 2021年1月18日、新たに、新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進担当大臣に任命された。厚生労働省など所管官庁のほか、製薬会社、医師会、医薬品卸業者、物流業者など多くの関係者との調整役を担い、令和の運び屋と国会で自称した。同20日にはファイザー製薬とのワクチン供給契約の合意を発表した。 2021年9月1日官僚に対するパワハラ疑惑が浮上。
日本政治の様々なポストを務めていますね!
それでは次から父親についてまとめます。
河野太郎の父親は政治家?経歴や実績まとめ!
河野太郎さんの父親は前述した通り、衆議院議員をされていました!
名前は河野洋平といいます。
- 生年月日 1937年1月15日
- 出生地 神奈川県平塚市
- 出身校 早稲田大学政治経済学部経済学科
- 前職 丸紅飯田社員
ニチリョウ代表取締役社長
日本陸上競技連盟会長 - 所属政党 (自由民主党→)
(新自由クラブ→)
自由民主党 - 称号 衆議院永年在職議員
経済学士
桐花大綬章
衆議院議員(14期)、衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第123・128-131代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、原子力委員会委員長(第39代)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(第1・3代)を歴任。
2003年(平成15年)から2009年(平成21年)まで日本憲政史上最長(当時)の期間にわたって衆議院議長を務めた。
副総理兼国務大臣(東京五輪担当)、農林大臣、建設大臣等を務めた党人派の実力者だった元衆議院議員の河野一郎は父。元参議院議長の河野謙三は叔父。行政改革担当大臣で衆議院議員の河野太郎は長男。
いわゆる従軍慰安婦について述べた「河野談話」を発表したことで知られる。
在任期間 2003年11月19日-2005年8月8日
2005年9月21日 - 2009年7月21日
内閣 村山内閣
村山改造内閣
在任期間 1994年6月30日 - 1995年10月2日
内閣 村山内閣
村山改造内閣
小渕第2次改造内閣
第1次森内閣
第2次森内閣
第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
在任期間 1994年6月30日 - 1996年1月11日
1999年10月5日 - 2001年4月26日
内閣 宮澤改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年8月9日
内閣 第2次中曽根第2次改造内閣
在任期間 1985年12月28日 - 1986年7月22日
第16代 自由民主党総裁
(1993年7月30日 - 1995年9月22日)
(旧神奈川5区→)神奈川17区
(1967年1月29日 - 2009年7月21日)
なんと衆議院議員を14期も務めた方です!
ちなみに叔父に河野治兵さん、田川誠一さん…
み~んな政治家です!
河野太郎の祖父は政治家?経歴や実績をまとめ!
河野太郎さんの祖父について紹介します!
お名前は、「河野一郎」
ものすごいポストまで登った政治家です!
- 生年月日 1898年6月2日
- 出生地 神奈川県足柄下郡豊川村(現小田原市)
- 出身校 早稲田大学政治経済学部
- 前職 朝日新聞社社員 農林大臣秘書官
- 所属政党 (立憲政友会→)
(無所属→)
(翼賛政治会→)
(日本自由党→)
(無所属→)
(自由党→)
(分派自由党→)
(日本自由党→)
(日本民主党→)
自由民主党 - 称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。春秋会(河野派)会長、領袖。
自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力を持ち、県は「河野王国」とも呼ばれた。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。
参議院議長を務めた河野謙三は実弟。衆議院議長、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表を務めた河野洋平は次男。外務大臣・防衛大臣を務め、現在規制改革担当大臣を務める衆議院議員、河野太郎は孫にあたる。
■副総理
- 国務大臣(東京オリンピック担当)
内閣 第3次池田改造内閣
第1次佐藤内閣
在任期間 1964年7月18日 - 1965年6月3日 - 第30代 農林大臣
内閣 第2次池田第1次改造内閣
在任期間 1961年7月18日 - 1962年7月18日 - 第5代 経済企画庁長官
内閣 第1次岸改造内閣
在任期間 1957年7月10日 - 1958年6月12日
■第20・21・22代 農林大臣
- 内閣 第1次鳩山内閣
第2次鳩山内閣
第3次鳩山内閣
在任期間 1954年12月10日 - 1956年12月23日
■第21・22代 建設大臣
- 内閣 第2次池田第2次改造内閣
第2次池田第3次改造内閣
第3次池田内閣
在任期間 1962年7月18日 - 1964年7月18日
■その他の職歴
- 衆議院議員(2期目)
(1952年10月2日 - 1965年7月8日) - 第14代 行政管理庁長官
(1955年11月22日 - 1956年12月23日) - 衆議院議員(1期目)
(1932年2月21日 - 1946年6月22日[2])
長年にわたり入閣し日本政治をリードしてきました。
河野太郎さんのおじいちゃん、とんでもない人物でしたね!
河野太郎の父や祖父は政治家だった?経歴や任期など実績をまとめ! まとめ
以上、今回は「河野太郎の父や祖父は政治家だった?経歴や任期など実績をまとめ!」についてまとめてみました。
河野太郎さんの父親は河野洋平さん。
祖父は河野一郎さん。
それぞれ政治家として活躍されていました。
他に親族も衆議院議員をされており、政治家家系であることが分かりましたね!
河野太郎さん自身も七光りなんて全くなく間違いなく日本のリーダーとして活躍されています。
今後も応援しましょう!
いかがでしたか?
最後まで読んで頂いてありがとうございました。