どーも!ともやんです。
原沢久喜が話題なので、くわしく調べてまとめてみました。
そのあたり紹介していきます!
是非最後までご覧ください。
もくじ
原沢久喜のプロフィールを紹介!
まずは、原沢久喜のプロフィールについておさらいしましょう!

- 原沢 久喜(はらさわ ひさよし、1992年7月3日 - )
- 山口県下関市出身の柔道家。
- 階級は100 kg超級
- 身長191 cm
- 体重122 kg
- 組み手は右組み
- 柔道五段
- 得意技は内股、大内刈
- 弟に俳優の原沢侑高がいる
原沢久喜の経歴をおさらい!
次に経歴について紹介します!
■獲得メダル
- オリンピック
銀 2016 リオデジャネイロ 100 kg超級 - 世界柔道選手権
銀 2019 東京 100 kg超級
銅 2018 バクー 100 kg超級 - 世界団体
金 2017 ブダペスト 90 kg超級
金 2018 バクー 90 kg超級 - ワールドマスターズ
金 2019 青島 100 kg超級
銅 2016 グアダラハラ 100 kg超級 - グランドスラム
金 2015 チュメニ 100 kg超級
金 2015 パリ 100 kg超級
金 2015 東京 100 kg超級
金 2016 パリ 100 kg超級
金 2019 デュッセルドルフ 100 kg超級
銀 2018 デュッセルドルフ 100 kg超級
銀 2019 パリ 100 kg超級
銀 2021 アンタルヤ 100 kg超級
銅 2013 東京 100 kg超級
銅 2014 チュメニ 100 kg超級 - ユニバーシアード
金 2015 光州 100 kg超級
遅咲きと言えるのでしょうか?
近年の獲得がすごいですね!
原沢久喜の出身高校はどこ?大学など学歴もまとめ!
さて、原沢久喜さんの学歴と柔道キャリアについて一気に紹介していきますよ~~!
高校までの学歴と柔道キャリア!
柔道は6歳の時に大西道場で始めた。
下関市立日新中学校から早鞆高校へ進学した当初は66kg級の選手で、身長も177cmほどだった。
しかしその後成長を続けると、3年の時には身長190 cmを超えて、階級も100 kg超級まで上がった。
なお、体重も90kgくらいまでは自然に増えたが、そこから先はウェイトトレーニングやプロテインを大量に摂取して増やしていった。
中国大会に優勝してインターハイの100kg超級に出場すると、準決勝で東海大相模高校の王子谷剛志に上四方固で敗れたものの3位となった。
続く全日本ジュニアでは決勝まで進むも、王子谷に開始早々の大外落で敗れて2位だった。当初柔道は高校を卒業したら辞めるつもりだったが、成績を残し始めたことで楽しく感じるようになり、続けることに決めた。
出身大学と柔道キャリア!
2011年には日本大学に進学した。
2年の時には学生優勝大会の決勝で東海大学と対戦すると、先鋒で出場して一本勝ちするなど、チームは3-0で大きくリードしながらも、その後3連敗して内容で並ばれて代表戦になり自ら出場するが、王子谷に内股返で有効を取られて敗れ、チームも2位にとどまった。
9月の学生体重別では王子谷が出場していなかったものの、決勝で東海大学4年の豊田竜太を合技で破って優勝を飾った。
11月の講道館杯では決勝まで勝ち上がると、旭化成の百瀬優を2-1の微妙な判定ながら破ってシニアの全国大会初優勝を飾った。
グランドスラム・東京では準々決勝で世界2位であるブラジルのラファエル・シルバに指導2で敗れたが、3位決定戦では九州電力の七戸龍を反則勝ちで破って3位となった。
4年の時には4月の全日本選手権の準々決勝で王子谷に大外刈で敗れて5位にとどまった。
11月の講道館杯では初戦で筑波大学3年の橋高海人に有効で敗れてグランドスラム・東京には出場できなかったが、グランプリ・青島ではオール一本勝ちでIJFワールド柔道ツアー初優勝を飾った。
2015年2月のヨーロッパオープン・ローマでは優勝を果たした。
3月の東京都選手権では決勝で高橋を内股で破って2年ぶり2度目の優勝を飾った。
原沢久喜は高校時代から強いと言われる理由は?出身大学や学歴も紹介! まとめ
以上、今回は「原沢久喜は高校時代から強いと言われる理由は?出身大学や学歴も紹介!」についてまとめてみました。
とういうことで高校の頃は「優勝」とは無縁だったことがわかりました。
実力はありましたが、なかなか他校の強豪に勝てなかったことが伺えましたね。
しかし、大学からは数々の大会で好成績を残し始めます。
そして東京オリンピックえげつない!笑
いかがでしたか?
東京オリンピックあとも活躍が楽しみですね!